舘ひろしの若い頃は紳士ではなかった!親のスネをかじるナンパ野郎で2浪までしていたことが発覚!

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舘ひろしさん“大人の男”や”紳士的”というのが世間のイメージですが、バラエティー番組の舘さんを見ていると、フランクでユーモアもあり、ギャップを感じます。

近年ではマスコットキャラクターとの自撮りをtwitterにアップしたり、着ぐるみを着たりと茶目っ気に拍車がかかっていますよね。

若い頃はギラギラしてた印象ですが、実際はどうだったのか?

今回は舘ひろしさんが芸能界に入るまでの生い立ち、若い頃のエピソードや女性関係などを追っていくので、是非ご覧ください。

 

舘ひろしが芸能界に入るまでの生い立ち

舘ひろしさんは立ち居振る舞いがキレイで、清潔感もあり、育ちが良さそうに見えますよね。

芸能界に入って活躍する前はどのような家庭に育ち、どんな暮らしをされていたでしょうか。

 

舘ひろしは医者の息子

引用元:google map

 

舘ひろしさんの父親は内科の開業医で、弟の啓二さんも舘ハートクリニックの院長をされています。

祖父は官吏をされていて、英国かぶれな方だったそうです。そのおかげで舘家に「ティータイム」の習慣があったのはファンにとっては有名なお話。

祖父の影響で、結婚式を英国で挙げていたり、愛車が英国製のジャガーやモーガンだったりと、舘ひろしさんも英国が大好きのようです。

さらに先祖をさかのぼっていくと、尾張藩の武士ということで、舘さんは旧士族の家柄なんですね。

徳川家から拝領した「徳川家の離れ」に代々住んでいたということで、育ちが良いのは間違いなさそうです。

 

舘ひろしの学生時代

舘ひろしさんはどんな学生時代を過ごしていたのでしょうか。

子供の頃からモテていたのか?すでにオーラがあったのか?気になりますね。

 

たらこくちびる
たらこくちびる
ダンディーな小学生だったら嫌ですね。

 

名古屋市立新栄小学校時代

出典元:名古屋市立新栄小学校

 

舘ひろしさんの親の躾は厳しく、この頃は優等生だったそうです。

父親の背中を見て育ち、自分も将来は医者になると当たり前のように思っていたとか。

ただ、当時はどんくさい少年だったらしく、仲間内からは「どんくさ舘」とからかわれていたと言います。

舘さんにも子供らしい時があったということですね。

 

 

名古屋市立白山中学校時代

出典元:twitter

 

中学生になると、医者の息子ということでいじめられたそうです。

そこから引っ込み思案になるかと思いきや、そこは舘ひろしさん。

一般ピーポーとはモノが違います。

なんと、グレて不良になりました(笑)。

 

 

愛知県立千種高等学校時代

出典元:みんなの高校情報

 

グレてしまった舘さんですが、高校は進学校に進みました。

不良になっても勉強はちゃんとやってたみたいですね。

ただ、高校に入ってからは勉強よりも女の子とラグビーに目覚めたそうです。

進学校なのにラグビーも強かったらしく、舘さんが高2の時は県大会ベスト8。

舘さんのポジションはウイングで、2019年のラグビーワールドカップで言うと、福岡堅樹さん松島幸太郎さんが務めてたところですね。

最終的にトライすることが多い、花形ポジションです。

しかも、舘さんは主将でもあったので、間違いなく黄色い声援を浴びていたことでしょう。

 

 

浪人時代

高校では勉強そっちのけになっていた舘さんですが、まだ医者を目指していたそうです。

しかし、毎日のように悪友と一緒に名古屋でナンパしていたとのこと。

親には予備校に通っているふりをしていたらしいです。

 

 

結果、舘さんは2浪し、医者の道も諦めることになりました。

 

たらこくちびる
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ここからどうやって紳士に・・・?

 

 

千葉工業大学工学部建築学科時代

出典元:みんなの大学情報

 

2浪の末、ついに大学生になった舘さん。

舘さんが受験した1970年代、千葉工業大学は今よりも入るのが難しく、偏差値は50-55くらいでした。

建築の勉強がしたかったわけではなく、「当時交際していた彼女のおじさんの出身校だった」ことが、この大学を選んだ理由だったようです。

 

たらこくちびる
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2浪までしてその決め方・・・?

 

最初はシェアハウスに住んでいた舘さんでしたが、節約のために、数人の女性の家を転々と泊まり歩くようになったそうです。

数人の女性というところがうらやましい限りです。

結局、大学は途中で芸能界デビューしたこともあり、中退することになりますが、休学期間も合わせると10年も在籍していました。

ちなみに学費は母親が払い続けていました。

親の気持ちとしては卒業して欲しかったんでしょうね。

 

たらこくちびる
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裕福な家庭だったことがわかりますね。

 

 

バイクチーム「クールス」結成

 

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舘さんがまだ大学生の時、岩城滉一さんらと一緒にバイクチーム「クールス」を結成。

原宿・表参道を拠点とした硬派バイクチームだそうですが、ここまでの生い立ちから考えると本当に硬派だったのかは怪しいところ(笑)。

しかし、当時はクールスに憧れる不良も多かったそうです。

1975年の4月には、当時「キャロル」の矢沢永吉さんが親衛隊のオファーを持ちかけてくるほどの知名度になっていました。

このクールスの活動が、後のロックバンドデビューと、俳優デビューの足掛かりになっていったんですねー。

 

たらこくちびる
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やんちゃしてただけなのに・・・。

 

 

ロックバンド「クールス」結成

出典元:amazon

 

キングレコードの社員から「レコードを出そう」と熱烈なオファーがあり、舘さん自身はノリ気ではなかったが、バンド結成することに。

最初は「歌ったことない」とやんわりと断ったが、「それでもオーケー」と言われたそうです。

バンドメンバーはバイクチームから楽器経験者を引っ張ってきました。バンド名もそのまま「クールス」。

もともと人気のオートバイチームからの選出だったので、バンドもそれなりの影響力があったようですが、音楽での評価は聞かないですね。

 

 

『暴力教室』で俳優デビュー

出典元:twitter

 

不良のリーダー役として俳優デビューを果たした舘さん。

当時のクールスメンバーも岩城滉一を除いて全員出演。

本物の不良グループというだけあって、演技の質はともかくとして、リアル感があります。

もともとフィクションの世界の仕事が好きでなかった舘さんですが、演技を続けていくうちに、俳優業に魅力を感じ始めました。

しかし、音楽だけをやりたいメンバーとの間に溝ができ、方向性の違いからクールスを脱退することとなります。

 

 

石原プロモーションに加入

 

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刑事ドラマ「西部警察」を通じて、舘さんが今でも「親方」と慕う、渡哲也さんと出会います。

石原プロモーションに入ったきっかけは、石原裕次郎さんではなく、渡哲也さんに対する憧れが大きかったと言います。

この頃の舘さんはバイクを乗り回して、銃をバンバン撃ってるイメージで、まだまだ不良の延長線上といった感じがします。

実際、生意気だったというエピソードもあるので、まだまだ今のような大人の雰囲気は纏っていなかったのでしょう。

 

 

まだまだ軟派な舘ひろし

 

舘さんは『あぶない刑事』の撮影現場に、キレイな女性を同伴してくることがあったそうです。

しかも、同じ女性ではなく、毎回違う女性だったとのこと。

普通ならコソコソやりそうなところ、堂々としてて、ある意味男らしいとも言えますね。

 

 

こういう過去のエピソードも包隠さずしゃべってくれる舘さんは素敵です。

当時の忘年会では「30人のコンパニオンを呼んだ」といったエピソードもあることから、派手に遊んでたことがうかがえます。

自分の銃も弾切れまでバンバン撃ってたのでしょう。

 

たらこくちびる
たらこくちびる
硬派とは?

 

 

若い頃の舘ひろしに対するファンの声

 

 

 

キャラクターは違えど、若い頃も、歳を重ねてからも、どちらも魅力的だということですね。

 

 

まとめ

さてさて、いかがだったでしょうか。

それではポイントをまとめますね。

 

今日のポイント

・学生時代は不良というよりナンパ師だった。

・硬派と言われていたが中身は軟派だった。

・ギラギラしたイメージはドラマのもので、実際はチャラ男で女性関係は派手だった。

 

舘さんはダンディーですがジェントルマンではなさそうだというのが僕の意見です。

どちらにしても舘さんがカッコいいことには変わりないですが。

 

以上、うわさがたりに最後まで付き合っていただきありがとうございます!

ではでは!

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